津波。。

まずは、震災で被害に遭われた方へ心よりお見舞いを申し上げます。

三連休の土曜日の夜から2泊3日で、東京から宮城県・女川町へ行ってきました。
被災地の状況はとにかく「ひさん」でテレビの画面のなかを眺めているような世界でした。
取り急ぎ、現状レポートです。
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被災地ではガソリンがないと聞いていたので、出発前にガソリンの容器を探しましたが全く見つからず、、

どこへ問い合わせても売り切れ。。幸い軽自動車だったのでエコドライブでガソリンが補給できそうな新潟周りでいくことにしました。

夜東京を出発。関越で北上して、黒崎SAについたのは夜11時でしたがスタンドは営業。並ばずに給油できました。
仙台を経由すると車が混みそうなので、国道7号線をそのまま秋田の庄内まで北上。

庄内から国道47号線で大崎へ。途中、新庄でガソリンスタンドがやっていたので1時間並んで給油。3000円分給油できました。どこも満タン入れることはできず制限がありました。山を、越えてこけしの鳴子へ来ると様子が一変。

鳴子から古川、石巻など物資の補給がかなり厳しい感じ。。
ガソリンスタンドは一日以上、コンビニは閉店。
日本海側ではガソリンや物資はかろうじて手に入りますが太平洋側はかなり厳しいようです。

コンビニはやっていませんでしたが、飲食店は営業しているところが多かったです。
ただ、一部コンビニでおにぎりとか限定販売は時間帯によってやってました。

古川から国道108号線から石巻へ入り、女川町を目指しました。
市内へ入ると、空爆のあとの焼け野原のようなひどい状況。

「石巻市内」

滞在時間が少なく運転しながら写真を撮っていたのであまりよく撮れてませんがとにかく悲惨でした。

「コンビニの中に車が入ってます@石巻市内」

自衛隊がようやく入ってきたような感じで、まだまだ全く生活ができるような状態ではありませんでした。
もちろん店もやってなく、救援物資も十分に行き渡っているような感じではありませんでした。

そして、そこから先の女川町がさらにひどい状況。想像を絶します。

言葉になりません。

町が消えた。

驚くべきなのは5階のビルの上に車がひっくりかえっていたり、4階建のビルが横倒れしてたり木造の建物はすべて流され、町はすっかり変わり果ててました。

「女川町@町の入り口から」


「女川町」


「女川町@町立病院より」

「女川町」

「女川町」

家を失ったひとも多く、どこも被害は悲惨でしたで言葉では言い表せない状況です。

避難所では、食料は届き初めているようですが、服もなく、毛布もなく、海から上がったものを乾かして使っていたりしてます。

避難所では、生活物資すべてが足りてなく、何がないというよりは、「すべてない」です。

もちろん家を失ってしまった方が大半なので、すべてないです。

まず、着替えや防寒具やオムツ、歯ブラシ、シャンプー、石鹸、洗剤、トイレットペーパー、電池、電池式の携帯充電器、懐中電灯、食料品などなど。石巻のさらにさきの離島のようなところなので物資がなかなか行き届いていないようです。少しばかりではありますが日用品などの物資を避難所へ置いてきました。

携帯も石巻の一部では通じてましたがそこから先は通じてないようです。

もちろん電気もありません。

しかし、非難している人は、復興作業をもくもくと始めており、逆に勇気付けられてしまいました。



帰り。少し走ると

「道が海になった。。。」

女川からの帰路、往路に通過した道が海で覆われてました。

どうやら、潮が満ちてきたようで、さっきまで畑だったところや道が水に覆われてきてました。
地盤沈下なのでしょうか。。海岸線を石巻まで走りましたが、どこも海の水位が上がって堤防も越えそうな感じ。
道も寸断された場所もあり回り道をしました。

特に大潮の日は、満潮の時間帯をチェックして走ったほうが良さそうです。




福島原発や余震の心配もまだまだありますが、一刻も早い支援が必要だと感じました。

力をあわせて復興支援していきましょう!





PS:東京より往復1400kmのためこの2泊3日ほとんど運転付けだったような気がします。
  とりあえず、とても疲れたので泥のように眠ります。



コメント

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    大変な時期ですがお互いにがんばりましょうね!(>_<)

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