隠岐四島(島後、中ノ島、西ノ島、知夫里島)エコツアー


                                   「ボンバルディアQ400」
●いよいよ出発!!
今回は福岡、大阪、名古屋の各地から伊丹空港へ集合。カナダ製のプロペラ機「ボルバルディアQ400」に乗り込む。思った以上にプロペラが巨大でかすかに振動が伝わってくる。伊丹空港より約45分。車窓から日本海に浮かぶ島々が雲の切れ間より姿を現してきた。「意外に大きな島」そんな印象だ。島根半島の北40~80kmの日本海に点在する4つの有人島と180あまりの無人島で構成されており「隠岐諸島」や「隠岐の国」と呼ばれている。一般に「隠岐島」というが、その名をもつ島があるわけでなく総称である。隠岐諸島は島後水道を境に本土から見て手前にある島を「島前(どうぜん)」後ろにある「島後(どうご)」に分けられる。島前は中ノ島(海士あま)、知夫里島(ちぶりじま)、西ノ島(にしのしま)から成り、島後は隠岐諸島の中で一番面積が大きい。

                                        「隠岐神社」 
●「神社の正しい参拝の仕方は」
隠岐空港では現地ガイドの的射氏が出迎えてくれた。早速、バスに乗り込み玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)へ向けて出発。テンポの良いトークで島の成り立ちから、歴史、文化、産業、自然、気候、隠岐の特産物などお話のわかりやすく解説して頂く。
 神社へ到着。境内へ入る前、「正しい参拝の仕方は??」という問題が出題された。わかるようでわからない。答えは、人は左側を歩くだ。真ん中は神様が通られる道。左をそのまま歩くと御手水舎が左側にある。「へええ。」と納得。
ここ玉若酢の神は国土開発の神で、たくさんの神々が祭られており、神社を統括する役割も担っている隠岐で重要な位置を占める神社だ。境内には「やお杉」という樹齢2000年と言われる杉が堂々とした風格をたたえている。
   
                                         「福浦トンネル」
再びバスへ乗り込み福浦トンネルへ向けてバスを走らせる。車窓からはたくさんの牧場が風景が楽しめる。ここの牛はのびのびと広い牧場で一頭一頭が大切に育てられ、高級和牛「おき牛」として、または「神戸牛」「松阪牛」として市場へ出る。様々な講義、解説をして頂きながらバスは進む。
 バスの車窓から見える黄色い花は「オキノアブラギク」。隠岐には、固有種としてオキシャクナゲ、オキノアブラギク、オキタンポポ、オキノアザミがある。
海岸線を西周りに半周ほど走り「福浦トンネルへ到着」。明治時代の手彫りの労作「福浦トンネル」は、貴重な土木遺産で、トンネルの掘られた地層は今から約550万年ほど前に噴出した重栖層と呼ばれる火山岩類の一部で、粗面岩と呼ばれるアルカリ成分を多く含んだ中性の火山岩の火砕岩である。的射さんがイチョウの木のオスメスの見分け方やヤブツバキの見分け方など楽しく解説してくれあっという間に時間が過ぎる。

                                       「オキノアブラギク」
●島前めぐり。中の島―知夫里島―西ノ島
隠岐神社の祭神は後鳥羽上皇。付近には上皇の遺灰や遺骨を埋葬した火葬塚、少し奥まったところに源福寺寺院が行在所跡として保存されている。後鳥羽上皇が隠岐に御遷幸されたとき行宮とされ、19年間お住みになられて場所として有名。当時火葬されるのはとても珍しいことで、それほど都へ帰りたいという思いが強かったということでもあるようです。隠岐が遠流の地と定められたのは聖武天皇の時代、神亀元年(724年)で、天皇や、公家、役人などの政治犯が多かったようで、小野篁(おのたかむら)や後鳥羽上皇・後醍醐天皇など歴史上の有名人が多いのが特徴です。流人には法度(禁止事項)として四つの決まりがありました。①離村してはならない。②博打してはならない。③結婚してはならない。④船に乗ってはいけない。

                                     「洞庭藍(ドウテイラン)」
バスは隠岐随一の展望地金光寺へ。小野篁の伝説地で、遣唐副使であった小野篁は嵯峨天皇の怒りをうけ、承和5年(838年)に隠岐の海士町豊田へ配流となりました。小野篁は在島中、金光寺山の6社権現に百日の参籠をし、都に還らせ給えと祈願。その間、仏像を刻み作りました。また、つばめ」村のあこな姫との恋物語も有名。
 バスの中ではテープをBGMに「しげさ節」や金も奥さんのないという意の「きんにゃもにゃ節」を楽しむ。あっという間に明屋海岸へ到着。海岸には絵になるような奇岩が紺碧の海とコントラストが面白く見ごたえがある。明屋とは、昔この海岸で女神が身籠り、産屋(=籠もる)が明ける(子供が生まれる)ことから子供祈願の海岸です。味蔵で、島の味を楽しみ一息してから港へ。次は菱浦港から来居港へ知夫里島観光だ。

                                     「赤ハゲ山への道中にて」
 港の目の前でスタンバイしていたバスへ乗り継ぐと、知夫里島のハイライトであるアカハゲ山へ。牧場に囲まれた一本道を登って行く。途中道を横切る牛のためバスは停車する。ここでは、牛が優先だ。なんといっても島民の数よりはるかに牛の数の方が上回る牛中心社会だ。ちなみにたぬきも多い。牛や馬に道を譲りながら展望台へ到着。ここはなんと360度の景色が楽しめる。島根半島や大山の展望も楽しめる。
 展望台から草原地帯を下り赤壁へ。中腹から道を外れ牧場の中を絶景を仰ぎながら下る。ここの展望はさらに迫力がある。自殺の名所を思わせる柵のない断崖絶壁の見晴台から赤壁を眺められる。ざっくりとえぐられた赤茶色の岩は時間とともに色を変え夕日を受けた壁はドラマチックだという。来居港へ帰る途中、島根名水を汲んでお土産に持ち帰る。

                                              「赤壁」          ●西ノ島(焼火神社‐焼火山(452m)、赤尾展望台‐魔天崖‐国賀海岸)
深谷氏の案内で島前最高峰の焼火山へ。本日は待ちに待った自然観察ハイキングだ。いろいろな植物を観察しながら解説に耳を傾け、活発な質問が飛び交う。自然をどっぷり楽しめる行程のため興奮気味に足取りも軽くなる。ただ、ここにはマムシやスズメバチ、ウルシやハゼの木があり注意しなければならない。蜂から逃げるときは、姿勢を低くして逃げると良いことを教えて頂いた。
 のしぶくろのモデルになっているミズヒキソウ、繊維が強くて牛が食べないイラクサ、赤い実が胡椒に似ているといういわれのコショウノキ、杉の木の区分わけに植えているアスナロ、毒があるホウチャクソウ、大陸系のクワであるケグワ、大きな実がなるムベ、木材の中が赤いことから名付けられたアカガシ、コケイラン、マムシグサ、イヌガヤ、クサギ、シャシャンボ、アカメガシワ、ヤマハゼ、トベラ、シマカンギク、オキノアブラギク、サイハイラン、、、など隠岐の植物の特徴や名前、名前の由来等いろいろな話を聞いているとあっという間に焼火神社へ到着。

                                           「焼火神社」
 焼火山(海抜452m)の中腹にある焼火神社は日本海の船人に海上安全の神と崇められている。旧暦12月31日の夜、海上から火が三つ浮かび上がり、その火が現在社殿のある巌に入ったのが焼火権現の縁起とされ、現在でもその日には龍灯祭という神事が行われている。以前はその時に隠岐島全体から集って神社の社務所に篭り、神火を拝む風習があった。現在もその名残を留め、旧正月の5日から島前(どうぜん)の各集落が各々日を選んでお参りする「はつまつり」が伝承されている。
 神社を後にし、山頂へ向かう。ところどころ道が狭く藪のようなところを歩きスリルがあったが、なんとか無事展望が開けた展望台へ。山頂では深谷さんがどんぐりを炒ったものを頂いた。意外においしいものだ。

                                    「意外においしいドングリ」
 昼食は、海の見えるシーサイドレストラン「海遊園つるまる」で頂く。
午後は、魔天崖へ。途中「牧柵」と言われる牛が逃げないように工夫された丸太橋のような橋をガタガタと言わせながら何度かバスで乗り越え牧場の一本道をのんびり上がる。ここ赤尾展望台周辺は今は全て牧場だが、昔は「輪作」を行っており、畑を四つに区切り、「あわ」「まめ」「麦」「牛」を時期により場所を移しバランスよく利用していたそうだ。
 魔天崖へ向うバスの窓に雨がポツポツ。晴れの予報のはずだったが、、でも景色は最高!!
「私は貝になりたい」のロケ地でもありポスターの背景である国賀海岸が一望できる魔天崖からの風景にシャッターを押す手が忙しくなる。この展望台から牛や馬が放牧された草地の中を海岸へ向けて下る。途中ヤマグミを味見しながら、ツリガネニンジン、ハマビワ、ヒオウギなど観察。魔天崖へ下ると通天峡と言われる岩の上にダルマギクが咲いていた。
 
                                          「国賀海岸」
●隠岐最高峰へ(大満寺山~鷲ヶ峰)
気根が垂れ下がった乳房のように見えることから名付けられた乳房杉で途中下車かと思いきやここで下車。体操をしっかりと行い登頂へ臨む。
ガイドは島のことを知り尽くした八幡氏の案内で山へ入る。世界ジオパークの登録に向けて精力的に活動されている。
日本の山にはアルカリ質の山は少ないが隠岐の島後の大部分は隠岐流紋岩と呼ばれるアルカリ流紋岩で構成されておりその珍しさと魅力を熱く語る。隠岐の生態系も面白い!!さらに話しが弾む。南方系のナゴラン、バリバリノキ、シャシャンボ、キエビネ、北方系のイタヤカエデ、ハマベンケイソウ、エゾノヨロイグサなど沖縄から北海道に生育するような植物が共存している面白い島。日本海にありながら対馬海流(暖流)の影響を受けており、ヤブツバキ、タブ、スダジイ、ヤブニッケイ、などの照葉樹林が分布していますが、興味深いことに島の中央あたりの山地にも同じ植物がみられる。また、海岸線の平地にも山地にも亜高山帯のミズナラ、カシワ、クロベ、ネズ、イタヤカエデ、ハリギリ、オオイワカガミ、などがみられたり、大陸、氷河期系のミツバイワガサ、ケグワ、クロベ、シロウマアサツキなども生育しています。北方系のモミの木に南方系のナゴランが着生して自生しているなど不思議な光景も見られます。これらの植物を実際に教えて頂きながら歩くととてもわかりやすい。気がつくと大満寺山頂にいた。
360度の景色を堪能した後、鷲ヶ峰を正面に見ながら下山。一度林道まで下りまた登り返す。登り坂は急だ(汗。。)

                                      「鷲ヶ峰より」
 山頂へ上がるとシャクナゲの森が生い茂る。春になれば一面に花を咲かせてきれいだろう。休憩後、屏風岩へ。徒歩10分ほどの距離だが難所が数か所待ち構えていた。それは険しい岩場だった。ガイド八幡さんの的確な指示を頼りに足場を探し一歩一歩登ってゆく。なんとか屏風岩を目の前から見渡せる展望台へ到着。屏風岩は高温の流紋岩質火砕流堆積物が固まる時に,柱状の割れ目(柱状節理といいます)が発達し,この割れ目に沿って崩落したために急崖となり、それが屏風のように見えることから名付けられたものだそうだ。
 屏風岩を後にして、神原高原へ下りここからさらに中谷林道へ下る。途中、杉の木の間から、トカゲ岩が顔を出す。トカゲ岩は粗面岩マグマが流紋岩質火山砕屑岩(火山噴火によって地表に放出された破片状の岩片と火山灰が固結してできた岩石)に貫入したもので、岩脈と呼ばれている。この岩脈はまわりの岩石より硬く風化しにくいために飛び出しており、その姿がちょうどトカゲが岩をよじ登っている姿に似ていることから名付けられた。
今回隠岐特有の植物から南方系の植物と北方系の植物の共存を楽しめ、隠岐特有の地質・地形を知り、スリル満点の岩登り、展望の素晴らしい絶景に息の飲み、さらに、新鮮な魚介類に胃袋も心も大満足。 皆様と楽しく過ごさせて頂き誠にありがとうございました。また、お会いできる日を楽しみにしております。

                                「フェリーしらしま「鬼太郎フェリー」                                       「」



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