ネパール・カラパタール登頂2010

世界最高峰の展望台
エベレスト・カラパタール登頂
2010年3月8日出発

ナマステ!

ネパールから帰国しました。小型飛行機でルクラまで行き、そこからはるばる10日間。。

歩いて。。

歩いて。。。

エベレストを見に行きました。

最終目的地はカラパタールという5545mの展望台。世界で最もエベレストがよく見えるところです。 エベレストベースキャンプよりも高いところにあります。

もちろん、高山病にもなります。。

でも、

でも、、、

無理をして、下痢をして、ヘトヘトになっても、

そこにエベレストがある限りは、感動!!します。

すごく「感動」します。よくうまく言い表せませんが非常に神秘的な世界です。今でも成長を続けるヒマラヤは、数億年前にインド大陸がユーラシアにぶつかって盛り上がった山です。そんなすごいエネルギーにロマンを感じ、自然の力に圧倒される旅は、どこか自然の龍宮城に迷いこんだみたいです。ヒマラヤにきて思うことは、「ここは、人が住む世界ではない」ということ。踏み入れてはいけない地に入り込んだようです。。。。

ともかく、毎日、朝になると、これは!これは!というほどに美しい景色に圧倒され、昼頃から雲が出てきて、何も山など見えなく、ただただ寒いけれど、また、翌朝晴れるだろうという希望を持ちながら、起きると、これまた、同じ景色とは思えないほどにきれいでまた感動する(笑)
これの繰り返しですた。。

送信者 karapather20100308new

「背景に左からプモリ、リンプトン、」



●以下18日間の山行記録になります。長いです(笑)ごめんなさい><。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
3/8(月) 香港空港再集合16:30>香港発17:35>ダッカ20:00/21:00(-3h)>カトマンズ着22:15/22:45(-3.15h)>ホテル23:05着

各地より香港経由にてカトマンズへ。カトマンズ到着後、入国審査、荷物受け取りを済ませ、外に出ると、プラカスさんとシャムさんが迎えに来てくれていた。久々の再会に心が弾む。

「機内食も旅の楽しみ」

3/9(火) ホテル出発6:00>カトマンズ空港6:40/8:15>ルクラ8:45/10:00>タダコシ12:00/13:20>パクディン15:00 

昨夜到着が遅く、起床が早かったので大変だったが気合で起きる。荷物をパッキングして朝食へ。朝明るくなった頃空港へ到着。
しかし、まだ飛行機は朝もやのため飛ばないこと。気長に待つ。カトマンズールクラ間は、有視界飛行のためルクラとカトマンズの双方の空港が晴れないと飛ばない。「ビスターレ、ビスターレ(ゆっくり)」と自分自身に言い聞かせる。


「ようやく飛んできたアグニエア」

飛行機では席は左側に確保する。左側にヒマラヤがみえるからだ。ルクラの朝靄を飛び立つと、目線より上に大きなヒマラヤの山々が連なっている。黒くピラミタルな形をしたのがエベレスト。高度を下げ着陸へ。ルクラは滑走路が非常に短く、上り坂を利用して速度を緩める。目の前には、コンデリとルンデピークが聳え立つ。空港には、サーダーのチョンバさんが迎えに来ていた。CAFE DANにてコーヒーを飲む。ポーターの準備が整うのを待つ。ルクラの町にはお土産さんが並んでおりみなエベレスト街道の地図を買う。石畳の街道を下り気味に進む。しかし、帰りのことを思うと思いやられる。ところどころラリグラス(石楠花)が満開の花を咲かせている。

「シャクナゲ」

大きな鈴をつけたゾッキョがガランガランとやってくる。ちなみに、ゾッキョをよけるときは山側によける。谷におっこちないようにするためだ。2時間ほど歩くと、右側にくクスムカングル(6370m)がキレイに見えた。山頂付近は真っ白な氷河に覆われておりかっこいい。お昼は、タダコシにて「HorseLodge」にてランチタイム。

日本人にはうれしいラーメンスープで始まり、ポテト、サンドイッチにバナナのデザートつき。谷間をもう2時間アップダウンして、大きなつり橋を渡ると、本日の宿「SUNRISE LODGE」に到着。トイレ、シャワーの設備もあり、売店も併設された快適な宿。夕食時には、薪ストーブを焚いてもらいネパールの餃子「もも」などを頂く。

「ルクラへ到着。背景にはコンデリ」

3/10(水) 起床6:00>朝食7:00>パグディン7:40>ジョサレ11:00/12:30>ナムチェ16:00

「ガンジス川」の支流にあたるドゥード・コシを右下に進みながら、松や杉の樹林帯を歩く。ベンカールの丘に上がったところにある展望の良いレストランにてタムセルク(6618m)を眺めながら、のんびり太陽を浴びながら休憩する。さらに樹林帯を進み、展望のよいところに出ると正面にシェルパの聖なる山「クンビラ(5761m)」が見えてくる。そのためこの山はまだ未踏峰だ。長いスリリングなつり橋を渡りモンジョの町へ。町を越えるとサガルマータ国立公園のゲートだ。手続を済ませ、谷を下り登り返してジョサレの町でお昼。

「大きなマニ石を左へ迂回しながら進む」

ジョサレでしっかり休養して、いよいよ標高差600mの登り坂だ。最後の橋を渡るとジグザグに登る。少し上り左ヘアピンに差し掛かったところを谷の遥か向こうに突然「エベレスト(8848m)」が姿を現した。はっきりイエローバンドも見える。すぐ右隣にはローツェもはっきりとわかる。うれしさにテンションもあがり急な登り坂をビスターレ(ゆっくり)がんばる。

「聖なるクンビラ山(5761m)」

コンデ・リ(6011m)が大きく見える階段を登りきるとナムチェに到着。日の良くあたる半円形状の地形に町は広がり、ロッジやお土産や登山ショップ、、インターネットカフェ、レストラン、民家が密集している。土曜にはバザール(市)が開かれ、そこを少し行くと、サーダーのチョンバさんの家があった。挨拶をすると歓迎してくれおいしいミルクティーをごちそうして頂いた。

「すり鉢状のナムチェの街」

 十字状に広がるメインストリートをタムセルクを眺めながら登ると「FreindShiplodge」に到着。ここのオーナーは燕山荘に毎年きており日本語が堪能だ。すぐにお茶タイムしながらSPO2(血中酸素濃度)をチェックする。今晩の夕食もおいしい日本食を食べれた。

3/11(金) 高度順応日。ナムチェ8:30>クムジュンの丘11:00>エベレストビューホテル11:30/13:00>ナムチェ14:00

窓のカーテンを開けると、コンデ・リが真っ赤に染まって大きく聳え立っていた。どれだけ眺めても飽きない美しさ。ロッジを出て少し行きナムチェの一番大きなTASHI DELIというお寺へ旅の安全を願う。ここの神様はグルジンブッチェという。今回はチョンバさんのかわいい息子さんも同行。

「迫力のコンデ山群」

村の外れから急な坂を登ると、シャンボチェの飛行場へ出た。物凄い砂煙を上げながら、砂利の滑走路を下りジャンプ台から飛び出るように、谷へ飛び出していった。さらに尾根に上ると、左にコンデ・リ、正面にクンビラ、エベレスト、アマダブラム、右にタムセルク、クスムカングルとぐるりと山の大パノラマ。ナムチェの反対の谷にはクムジュンの谷が見える。シャッターが止まらない(笑)丘を少し下るとエベレストビューホテルへ到着。テラスに出ると正面にエベレスト。しかし、気になるのはアマダブラム!あまりの存在感の強さに思わず見とれる。

「エベレストビューホテルにて。右からアマダブラム、ローチェ、エベレスト、クンビラ、タボチェ」

ミルクティーやワインなど頼み、持参したおにぎりを片手にエベレストに乾杯!
同じ行程で歩いてきたスミレツアーの人とも会話が盛り上がる。
午後は、ナムチェの町を散策したり、シャワーを浴びてリフレッシュした。そして、晩御飯は鳥鍋を日本から持参したポン酢で食べて盛り上がった。

3/12(土) ナムチェ7:40>ゴーキョとの分岐10:25>プンキタンガ11:45/12:30>タンボチェ14:45>デボチェ15:20

今日も気持ちの良い青空とヒマラヤのコントラストが美しい。ポーターに荷物を預け、できるだけ身軽にして歩く。ナムチェの坂を上り、ドゥドコシ川を遥か下に覗きながら左岸を歩く。目の前にアマダブラムが見え隠れしながら、覆いかぶさるように大きくなってくる。その左の谷の合間にエベレスト、ローツェが素晴らしい。

「谷間からタボチェ、クンビラ、エベレスト、ローチェ、アマダブラム(左から)」

ゴーキョへの分岐を過ぎ、テシンガから谷を下り、橋を渡ってプンキタンガで昼食。道にはヤクが行きかいノンビリと街道をぶらぶらしているとボケッとしているとヤクが向かってきて危ない。イタリアン風な昼食で登りのエネルギーを蓄えて標高差600mの坂を頂上のタンボチェ目指す。周りにはシャクナゲの木がたくさんあり花が咲くときれいだろう。ゆっくり深呼吸をしながら登る。なかなかの登りだ。

「タンボチェの寺院」
 
頂上のストゥーパが見えてくる。タンボチェには、装飾と色合いがきれいなチベット寺院があり手を合わせる。予定ではここで宿泊する予定だったが、キッチン付きの宿が取れなかったため、タンボチェから20分ほど街道を下ったデボチェのパラダイスロッジへ。リビングの中心には薪ストーブがありアットホームな感じが良い。

3/13(日) デボチェ8:30>パンボチェ10:30>お昼12:00>散歩14:00>夕食18:00

パラダイスロッジの中庭からは、正面にクンビラ、エベレスト街道進行方向の谷間からエベレスト、ローツェ、アマダブラムが朝日を浴びて美しい。ダイニングでは、朝から薪ストーブを焚いてくれて暖まりながら、おかゆ、玉子焼き、パンの朝食。ストレッチ体操をして、樹林帯を歩き出す。針葉樹にシャクナゲの木がたくさん生えている。橋を渡ると、正面に大きくアマダブラムが見える。

「橋をわたった所にあるストゥーパとアマダブラム」

左岸は、ブッシュが生えている程度の展望の良い道でゆっくりなだらかに登る。所々ストゥーパがあり、一休憩する。対岸側にタムセルクとカンテガの山頂付近の氷河が光に反射して真っ白に輝く。2時間歩くと左岸前方に芋畑が石垣に囲まれていくつも広がり美しい。その先に、緑色の屋根の集落が点々としている。

パンボチェに到着後、ラーメン、野菜炒め、酢飯でランチ。午後はゆっくりと裏山へ上った。下を見下ろすと、石垣で囲まれた段々畑が美しい。丘の上は小学校となっており、毎朝パンボチェの町からここまで登ってくることに感心する。丘の上にはレンガの煙突のようなお墓が並んでおり美しい。

「パンボチェよりローチェ、エベレスト、ヌプチェ」

標高は3989mとなった。高所の影響か、一名体調がすぐれない。SPO2(血中酸素濃度)を計ると数値が低い。顔にむくみも出ている。深呼吸を心がけて様子を見る。
夕食は、山芋、味噌汁、野菜炒め、フライドポテトなど日本食。標高が高くなってくると、食べやすい日本食を食べられることは非常に助かる。

3/14(日) パンボチェ7:45>シュモラ9:00>橋10:30>ディンボTッイェ13:00

昨晩、うっすらと雪が降ったらしく、あたり一面真っ白。太陽が出てくると溶け始める。調子悪かった一名は、昨晩もトイレとの往復の連続のため衰弱しており回復の見込みがない。今後、高度がもっと上がるため、下山を決めた。みんなで登頂を目指していただけに残念だ><。

両端が狭くなった谷の前方からは、ローツェ、エベレスト、ヌプツェなどが見える。緩やかな道を登りつめると谷を越えなければならない。橋を渡るために下る。ここからディンボチェまで250Mの登りだ。タンボチェを越えてからすれ違う人の数がかなり減った。そして、ヤクとすれ違う機会が多くなった。ヤクは、ナムチェより上の領域で活躍するため、ルクラでは見ない。ルクラ~ナムチェは、ゾッキョが活躍している。左前方にロブチェのピークが見え始めた頃、右前方には、ディンボチェの町が見え始めた。

「パンボチェを出るとエベレストはヌプチェに隠れてしまった」

そして、いつも間にかに、エベレストはヌプツェの影に隠れてしまった。集落の手前でポーターが運んでくれたジュースを飲み、村の上にあるロッジまでもう一がんばり。これが、なかなか堪える。今晩のロッジは「マウンテンパラダイスロッジ」。反対側の谷を眺めていると、アマダブラムへ向かう登山隊が登っていくのが見える。ディンボチェでは、高度順応のため、二泊する。 高所に来たためと疲れとで、夕食には、おかゆなども出してもらった。

「ヤクが荷物を運搬する」

3/15(月) 出発8:30>高度順応>ロッジへ11:30

「ディンボチェより来た道を振り返る」

朝起きると、昨晩の雪が降り積もっており、あたりは真っ白。おかゆとゆで卵などの軽い食事をして歩き始める。チュクン方面へ谷沿いにゆっくり高度を上げる。ローツェとヌプツェが見えていたが、まもなく雲に隠れてしまった。後ろを振り返ると、タボチェ(6495M)が迫力を増して聳えている。ビブレの手前4650Mまで高度をあげて引き返す。真っ白な雪原の谷を下るのは楽しい。
 お昼は、まき寿司とコロッケにガーリックスープが待っていた。食欲は落ちていたがポーターさんたちに感謝。午後は、寝ないようにしながらゆっくり過ごす。部屋は寒いがリビングではストーブを焚いてくれたので快適。

「日本から持参した食材でのり巻き」


3/16(火) ディンボチェ7:40>トゥクラ11:00/12:20>メモリアルの丘13:45>ロブチェ15:10

ディンボチェの裏山のストゥーパへあがると、一面白銀の世界のパノラマがどこまでも続き、目の前には、タボチェ、チョラパスの峠、ロブチェピークが真っ白に聳え、後ろにはタムセルク、カンテガが覆う。緩やかな丘陵帯を谷の奥目指して進む。トゥクラ手前に来ると、重なって見えていたタボチェ、チョロツェは、真横にはっきり見え迫力を増す。

「ディンボチェの丘より。左からタボチェ、チョロツェ、ロブチェピーク」

「大パノラマ!!雄大な自然に心和む」

「タボチェを背景に」

 氷河の川を渡り、トゥクラのレストランの裏の丘でシートを広げて青空ランチ。食後は、真っ青な太陽を浴びながら少しウトウトする。休憩後、気合を入れて標高差約220mのメモリアルの丘へ登る。たった220mほどだが、とてもキツイ><。少し登ると息がきれ一呼吸。丘の上にはタルチョに飾られたストゥーパが谷間を静かに見下ろしている。その周りには、エベレスト登山でなくなった人たちの名前などが刻まれた石が並んでいる。しかし、ここからはエベレストは見えない。前方には、ヌプツェ、クンブツェ、リンプトン、プモリ、シャングリなどの氷河と岩のヒマラヤ。もう神々の世界に入ったようだ。丘の上からは、氷河で削られてできた地形の脇をひたすらロブチェ目指して歩く。

「青空ランチ」

ロブチェは、標高4980mだが、小さな村ができている。「The Above clouds lodge」は、入るとすぐにやくストーブのある快適なダイニングがあり、奥が部屋となっている。部屋に電気はついているが暗いのでヘッドランプは必須。明日に備え、早めの就寝。

3/17(水) ロブチェ3:15>ゴラクシップ6:30/7:30>カラパタール10:40/12:30>ゴラクシップ14:00/14:30>ロブチェ17:30(18:10馬)

朝は寒かったが、昨日の厚い雲も晴れて星がきれいに出ていた。また、風もなく気温も-5℃とそれほどの冷え込みではない。ヘッドランプをつけてゆっくりとアップダウンの少ない道を歩くゴラクシップ手前は氷河で押し出された土砂がヒダのようになっているためアップダウンが多くなり息もあがる。気温も-10度。ふと気がつくと、ヌプツェの右側から日の出が出てきた。ゴラクシップにてお茶を飲みながらストーブで少しばかり温まる。

「真下にゴラクシップ。中央のプモリの下に黒く三角の形をしたのがカラパタール」

ゴラクシップまでがんばったが1名ここでリタイヤが出てしまった。残念。
 外へ出ると、白銀の世界がキラキラとひかりはじめて眩しい。ここは標高のため紫外線も強いためかなお更。三角形がプモリに向かって突き出した形をしたカラパタールの頂上へ向けて歩き始める。いきなりの急登。標高さえなければ大したことのない登りは体にムチを打つ。しかし、上に登れば登るほど大きくなるエベレストに励まされる。

「カラパタール山頂へ」

「真ん中にエベレスト」

一歩一歩登りジワジワと山頂へ。

「やっほー!!」


「バンザーイ!!」

「山頂からの展望」

タルチョで囲まれた山頂からは、目の前にエベレスト!、プモリ、リンプトン、クンブチェなど大パノラマが歓迎してくれた。まさにエベレスト鑑賞の特等席だ。9日間歩き続け、高山病とも戦いながらいくつもののハードルを乗り越えて得られる至福は、なんとも表現しがたい。写真や動画では体験できない「生」の迫力を共感できるのはこの地に自ら足を運んだ物だけだ。「エベレスト」はホントに大きかった。

下山では、体力を消耗したためか、高所のためか、歩く足に力が入らずなかなか進めない。ゴラクシップに到着後、2名馬の手配をした。まさかこんな高所でも馬を使えるとは驚きだ。
ゴラクシップに下山し、軽くラーメンなどの食事をしてロブチェへ下山。ロブチェにつく頃には薄暗くなり始めた。夕食は、おかゆや野菜のいため物、野菜の天ぷらなど食べた。

3/18(木) ロブチェ8:45>トゥクラ10:40>ぺリチェ12:30


「カラパタールに別れを告げて最後に記念撮影」

昨日はたくさん歩いたのでゆっくりと起床。天気が目が開けられないほどに眩しく最高の空。ロブチェピーク(6090m)とヌプツェ(7864m)が前後に聳える。
トゥクラへ真っ白な絨毯がひかれたのような道を自由に歩きながら下る。トゥクラから分岐をぺリチェの谷のほうへ下る。谷間へ下ると、目の前にはタボチェ、チョロツェが大きく、谷間の先には、アマダブラム、カンテガが美しい。後ろにはヌプツェが鋸岳のようにギザギザの形に姿を変えた。

「メモリアルの丘からペリチェを見下ろす」

山岳展望は、見る角度によって刻々と変化して見るものを飽きさせない。お昼には、クンブロッジに到着。サンドイッチ、スープ、おかゆなど頂く。また、昼からヤクのストーブに火を入れてくれがんがん暖かくしてくれた。外にはなんとホットシャワーもある。

「いつも笑顔が素晴らしいポーター達」

3/19(金) ぺリチェ7:40>ショマレ9:30>パンボチェ11:00>デボチェ12:00/13:00(お昼)>タンボチェ13:30>プンキタンガ15:00>キャンズマ17:30

眩しい光線が瞼に入り込んできて目が覚めた。窓の外は、一面の白銀の世界に、目の前のデボチェが日の出を受けて輝いている。思わず、高所ということを忘れて、カメラを持って飛び出す。カメラの枠は狭い。雄大な景色を目の前に小さなコンパクトカメラには収まりきらない。




「ペリチェにて朝を迎える」

「タムセルク、カンテガ」

 長い一日の始まり。下山してきたことでメンバーは少し回復した様子。気合を入れてはいるが、ゆっくりスタート。少し歩くと、谷が狭くなり、橋を渡って丘をあがる。頂上に着くと、「こんにちは!こんにちは!!こんにちはー!!!」と、久々にサーダーの携帯の着信音。ようやく圏内に入ったようだ。先に下山した1名ともここで連絡をとりお互いなんとか元気なことを確認した。

「標高4200mほど。こんなところまで建築資材を運ぶとは驚き」

下りの道のりは長い。デボチェへの橋を渡ると、久々の樹林帯。なんか酸素が濃くなった気がする。お昼をとり、タンボチェへの坂をジリジリのぼり、タンボチェから一気に600mほど下る。タンボチェからは、タムセルクとカンテガを裾から上まで大迫力で堪能することができる。足が棒になった頃、谷のしたのプンキタンガへ到着。橋を渡ろうとすると、新しい橋が半分くらいでき初めていた。なんか時の流れを感じる。ヘロヘロになりながら、谷を登りきったところのタムセルクロッジへ。眺めもよく快適なロッジだ。がんばった甲斐があった。ビールで乾杯!なんともうれしいのは、寒くない。

「夕日を浴びたアマダブラム」

3/20(土) キャンズマ8:10>ナムチェ10:00/13:00>モンジョ15:30

「展望が素晴らしいキャンズマのロッジ」

背中から朝日を浴びて輪郭がくっきり浮かび上がったローツェが雪煙をあげている。毎朝ヒマラヤを見るとなにかとても気持ちがリセットされる気がする。今日はノンビリとスタート。一時間ほど歩くと、アミューズトラベルのゴーキョ組とすれ違った。「ガングロvs美白」。これから登っていく彼らは気合に満ちていて元気をもらう。
 ナムチェは盛り上がっていた。そう土曜バザールの日。各地から人々は集まってくる。ヒマラヤを越えてチベットからも来るというので驚きだ。懐かしい顔もあった。高度順応をしたディンボチェ(4343m)のロッジの人も買出し。僕らが2泊3日で登ったところを一日で帰るというから驚きだ。ここで、バザールを楽しんだり残りの買い物を済ませた。

「ナムチェバザールの様子」

お昼は、「天ぷらうどん」。自然と喉を通る。ナムチェから標高差600mの坂をまた一気に下る。途中、荷物を積んだロバの大行列に出くわした。次から次へとくるくる。エベレスト登山隊の荷物だろうか。そう考えるだけでも興奮してくる。
 モンジョにつくと一週間ぶりに先に下山したメンバーと合流。懐かしい。お互いの話題でこの日は盛り上がった。ビールも一段とうまく感じる。モンジョゲストハウスに宿泊。

3/21(日) モンジョ7:40>ガット11:30/13:00>ルクラ15:20

モンジョを出発して石畳の街道を下る。途中には、シャクナゲやモクレンのはながきれい。トクトックを過ぎるとクスムカングルーが見えた。もう谷は深くてヒマラヤはどんどん遠くなるのが切ない。早く町へ帰りたい気持ちと、まだトレッキングを続けたい気持ちが交差する。

「学校に寄付」 

この日は、前首相が亡くなられたということでナショナルホリデーとなっていたが、学校を見せてほしいというと数名の先生と生徒達が集まってくれた。10名ほどの先生に対して50名ほどの生徒がネパール語、英語、その他授業を受けているという。ノート、エンピツなどを寄付し、持参した風船や折り紙、なわとびなどで生徒と一緒に遊んだ。ガットからまた少し坂を下り、最後は、下った坂を最後の力を振り絞り一歩一歩登った。階段の頂上にゲートが見えた。

今度こそ「ゴール?」と思いゲートをくぐるとホントにゴール!

「おつかれさまでーす!」

13日間歩き続けると、ゴールしたことが現実のものと受け入れられないほどに歩きなれてしまっている(笑)

「ルクラに到着!バンザーイ!」

 夜は、今まで一緒に歩きサポートして頂いたポーター達と打ち上げ!シェルパ達が一生懸命に作ってくれた御馳走で好きなだけお皿に盛り、お酒をみんなで飲み、踊った。やっぱりテーマ曲は「レッサンピリリ」どこで終わるのかわからないほどリピートする。みんなで輪になりグルグル回っているうちにお酒も回りさらにエキサイトする。息もくるしくなる。それもそのはず、標高2800m。疲れきって動けなくなるまでパーティをしてお休み。よく寝れそうだ。

「ケーキまで焼いてくれた」

3/22(月) 出発6:30>空港6:40/8:00>カトマンズ空港8:40>ホテル9:30

朝、モーニングティーで目が覚めた。いつも当然のように続いたこの朝の習慣がなくなるともうとなんか寂しい。仕度を済ませ、みんなと最後の別れをして宿を後にした。

「最後の別れは寂しい」

朝は、ガスがかかっていた。昨日はルクラーカトマンズ間が飛ばなかったということで少し不安。飛んでくるのは、小型セスナのみでカトマンズ行きがなかなか来ない。。。待つこと一時間。カトマンズからTARAが飛んできた。空港から人が減っていく。われわれのAGNIはまだ来ない。ルクラには電光掲示板があるわけではないので、スケジュールがわからない。飛んできた飛行機を目視で確認して、係員が呼ぶのを待つだけ。
「AGNI!!」順番は突然きた。あっという間の別れ。

「機内の中」

雲の上をどっしりとしたヒマラヤが鎮座している。やっぱりかっこいい。ヒマラヤは神そのものだと思う。
カトマンズで2週間ぶりに車のにぎやかな音を聞いた。塵と喧騒にまみれたカトマンズは懐かしい。ホテルへ帰りシャワーを浴びると、お腹が急に減ってくる。どうしたことだろう。町へ着たからか。ホテルでコンティネンタルランチを頂く。おいしい!なんてことない普通のランチのはずだがすごくおいしい。午後は、ゆっくり過ごし、夜はインディアンレストランへ行き、カトマンズの夜に乾杯した。

3/23(火) バクタプル観光(オプション)10:30~16:00>夕食:ふる里18:30

フライト予備日。午前はゆっくり。午後から世界遺産のバクタプル観光へ出る。ホテルを出発してすぐ大渋滞。カトマンズの渋滞は進まない(笑)車、バイク、リキシャ、自転車、人が隙間、隙間に割り込み、お互いを譲らない。渋滞なければ40ほど行くところを倍ほどの時間がかかって到着。

「五重塔」

「焼き物がたくさんある」

「糸車を引く」

 カトマンズとは違うゆったりとした時の流れに彫刻が細かく施された町並みが印象的。この町は今も活動を続けているが、中世の頃へタイムスリップしたような感覚に陥る。広場には、ネワール族の寺院が佇み、お供えがされている。そして、生贄となり頭のないヤギが運ばれ、血が地面をなぞる。誰も驚く人はいない。なにもかも自然な光景。
 バクタプルはヨーグルトの産地としても有名だ。素焼きされた陶器に、ヨーグルトが盛られている。
食感は、茶碗蒸しのようなしっかりした歯ごたえに天然のミルクが安らかに熟成した香り。うまい。ネワール族に美人が多いというが、うなずける味。

「ヨーグルト」

 夕食は、バースデイパーティー。ネパール気分を存分に味わうために、リキシャを体験。意外に乗り心地が良い。喧騒のなかを「ジリリリン」と滑走する。日本食レストラン「ふる里」にて、ネパールで誕生日を迎えられたメンバーをお祝いした。TCより日本のアサヒビールサービス!乾杯して、日本食を酒のつまみに楽しんだ。最後には、ケーキが運ばれてきた。楽しい夜となった。

「リキシャを体験」

3/24(水) フライト予備日>市内観光(オプション)13:00~16:00>夕食18:00~>ホテル発20:00>空港20:30/23:25

いよいよ最終日となった。夜発便のためゆっくりと過ごす。最後は、お土産を買うために買い物に出たりした。昼食は、希望者を募り、「桃太郎」へ行った。オーソドックスな日本食のメニューが並び、食材も日本から手に入れていたりするので、抵抗なく食べれる。
 朝から、カトマンズは良い天気が続いたが、昨日と今日は、なんとガスのためルクラーカトマンズ間のフライトが飛んでいないという。ラッキーだった。のんびり暇を持て余していたが、もし、飛ばなかったことを考えると冷や汗ものだ。
 
最後の夜は。「ヒマラヤキッチン」にてネパールの定番「ダルバート」を囲んで乾杯。。ここまで、特に大きな事故もなく一同顔を合わせられることは本当に幸せなことだ。改めて感謝させていただきたい。

「どうもありがとうございました!!」

 最後の別れは、一瞬でやってくる。空港への道は、順調に進み、現地のスタッフと別れを惜しむ間もないほど、トントンときは進み、ネパールを後にした。






コメント

タイトルとURLをコピーしました